大阪高等裁判所 昭和45年(ネ)812号 判決 1971年11月16日
控訴人
甲1・甲2・甲3
代理人
上坂明
他四名
被控訴人
乙
代理人
福岡彰郎
他二名
主文
原判決中控訴人甲1に関する部分を左のとおり変更する。被控訴人は控訴人甲1に対し金五〇万円およびこれに対する昭和四三年七月一九日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
同控訴人のその余の請求を棄却する。
控訴人甲2、同甲3の控訴をいずれも棄却する。控訴人甲1と被控訴人間に生じた訴訟費用は第一、二審を通じこれを四分し、その一を控訴人甲1の、その余を被控訴人の負担とし、控訴人甲2、同甲3の控訴費用は同控訴人らの負担とする。
この判決の金員支払を命ずる部分は仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求めた裁判
(一) 控訴人ら
原判決を取消す。
被控訴人は控訴人甲1に対し金一〇〇万円、控訴人甲3に対し金五〇万円およびそれらに対する昭和四三年七月一九日より各完済に至るまで年五分の割合による金員を、控訴人甲2に対し金八五万五、七五〇円およびうち金七二万一、三五〇円に対する昭和四三年七月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
との判決と仮執行の宣言。
(二) 被控訴人
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
第二、双方の主張および立証<省略>
理由
一、控訴人甲1とその余の控訴人らとの親族関係および控訴人甲1の本件受傷が被控訴人の飼犬が咬んだことによるものであることについては、当裁判所も原判決とその認定を同じくするものであるから、原判決理由中その点の説示(「一、請求原因について」の項)を引用する。当審証人××の証言によつてもこの認定を覆えすに足りない。
二、被控訴人の抗弁一(民法七一八条一項但書の主張)について。
<証拠略>を綜合すると、被控訴人の居宅は、前記引用した原判決認定の場所にあり、被控訴人方ではその袋小路突当りの工場の塀につけて犬小屋を置き、本件飼犬を通常そこに入れて外からふたを閉めておくか、若しくは鎖をつけて玄関脇の支柱(玄関の戸から四、五〇センチメートル位で、玄関先の渡し板まで六〇センチ位のところにある)に繋いで置くようにしていたが、本件当日は、事件発生の少し前に被控訴人の長女が右飼犬を散歩から連れて帰つたので、被控訴人の妻花子はこれを受けとり、その鎖を右玄関脇支柱に結びつけておいたところ、そこへ控訴人甲1が右袋小路の入口附近で母親の甲3から離れて一人歩きをして玄関前渡し板の附近まで来てこの事故に遭つたものと認められ、これに反する証拠はない。
被控訴人としては平素このようにしてこの犬を飼つて来たのであつて、従来何事も起らなかつたのであるから、本件についても、何らの過失もないと信じていることは推察に難くないところである。しかし被害者の年齢<当時一年一〇月・編者註>から見て、飼犬に悪戯をしたとも考えられない本件のような事故が発生した以上、現実に生じた損害をいずれに負担せしめるのが公平であるかという不法行為法の基本理念に基づいて観察すると、当裁判所は被控訴人の民事責任を全く否定し去ることはできないのである。
蓋し、民法七一八条一項但書に「相当の注意」とは通常払うべき程度の注意義務を意味し、異常な事態に対処し得べき程度の注意義務を指すものではないけれども、本件の様に平素おとなしい畜犬であつても、何らかの拍子に幼児などに咬みついて傷害を与える場合もあることは珍らしいことではないのであるから、その様な事故を起さないような万全の手段をとるとことが、犬の占有者に要請される相当の注意義務なのであつて、被害者側に落度のあることから、たやすく飼主については不可抗力による事故とみることはできない。このように解するときは動物の占有者の側から見れば責任が若干広くなるかの観もあろうが、立場を変えて被控訴人の幼児がこのような事故にあつた場合を考えれば理解できる筈であつて、いやしくも社会共同生活の中で動物を飼う以上、そのようなきびしい責任において占有保管すべきものと考えるのが社会通念に合する所以であると言わねばならない。
よつて、被控訴人の抗弁一は理由がない。
三、被控訴人の抗弁二(過失相殺の主張)について。
本件事故が控訴人甲1が袋小路の入口附近で母親の控訴人甲3から離れて一人歩きして被控訴人方玄関前渡し板の附近まで来たために生じたことは既に認定したとおりであり、前掲証拠によると、控訴人甲3が控訴人甲1を連れて遊びに出ている娘を迎えに行つた帰途、右袋小路の入口の西寄りのところで始めタクシーとすれ違うため一列になつて子供達を先へ歩かせ、自分が少し後を歩いたため、子供達が先に袋小路入口に達したのであるが、そのとき近所の知合の人と出会い、袋小路の角から一、二米西寄りの所で立話をしている合間の出来事であり、その際控訴人清美は控訴人甲1が袋小路の方へ入つて行くのに気が付いたが格別気も止めなかつたこと、および控訴人宅と被控訴人宅とは近所で、控訴甲3もそれまでに本件場所附近に被控訴人の飼犬が繋がれているのを目撃したこともあることが認められ、これらに反する証拠はない。
してみると、道端で出会つた知人と立ち話をすること自体は本来何ら責めるべき事柄でないこともちろんであるが、その場合に偶々母親の目の届かないところまで一人歩きした幼児に本件のような事故が起つてみれば、先きに飼主側にもきびしい注意義務を課した反面、保護者の側も損害の負担を飼主側にのみ求めることは公平の理念に合する所以ではないと解すべきであつて、当裁判所は保護者にも過失ありと認め、過失相殺の率を二分の一と判定する。
よつて、この限度において被控訴人の過失相殺の主張は理由がある。
四、控訴人らの損害について。
(一) 控訴人甲1の慰藉料について。
本件事故により控訴人甲1は右耳翼上部が欠け、整形治療の結果軟骨は覆われたものの、耳翼の欠損部はもとどおりになつていない等のことは、原判決理由の最初から五行目以下二枚目六行目までに認定のとおりである。これに当審における控訴本人甲3の供述およびこれにより成立の認められる甲第六号証とによつて、右欠損部は将来なお相当の費用を要する整形手術を必要とすることも予想される(現時点においてその手術の必要の程度、費用を確定できないことは後記(二)のとおりである。)ことを併せ考えれば、甲1本人の受傷以来将来に亘つての精神的苦痛は少なからざるものあることが認められる。しかし乍ら、他方前記過失相殺の主張の理由ある点および後記のごとく、被控訴人の支払つた金一〇万円に若干余分のあることを考慮すれば、控訴人甲1に対する慰藉料の額は金五〇万円をもつて相当と考える。
(二) 控訴人甲2の財産上の損害について。
<証拠略>を綜合すると、控訴人甲2は、本件控訴人甲1の受傷の治療等のため、
(1) 病院治療費 金一四万九、一〇〇円
(2) 入院時付添費金七、〇〇〇円(一日一、〇〇〇円)
(3) 通院交通費金 九、三五〇円
(4) 通院付添日当金 二万八、〇〇〇円(一日五〇〇円)
の合計金一九万三、四五〇円の損害を蒙つていることが認められる。
控訴人は右(4)の通院付添日当についても(2)の入院付添日当と同じく一日一、〇〇〇〇円を請求するが、入院の付添については一日一、〇〇〇円を相当としても、通院につき、右認定の金額を超えて入院の場合のそれと同額を相当と認めるに足る資料はない。なお右(2)と(4)は現実の出費ではなく母親の甲3が付添つたものと認められるが、これについても、昭和四六年六月二九日最高裁判所第三小法廷判決(判例時報六三六号)の趣旨に従い、控訴人甲2の損害として計上し得るものと思料する。
次に甲第五号証(医師白壁武弥作成の書面)には、控訴人甲1の右耳翼の約1/2程度の皮膚変色があり、上後側部は壊死に陥り、内部の軟骨組織の一部を見得る状態になつていること、および、「次の手術の時期はもう少しききわけが出来てからでも結構と思います(本人の皮膚を利用)」との記載があり、右のききわけの出来る時期とは就字前後の少年期を指すものかと思われる。しかしながら、このように幼児の耳翼の一部をかみ切られた場合、仮りにいわゆる美容整形手術によつて原型に復元できるとしても、その後全身の発育するにつれて、右復元部分が身体の他の部分との間に著しい不均衝を来すことは見やすいところであるから、かような整形手術が可能としても、それは成年期に入つて、身体の発育の停止する時期以後でなければならない。しかもその際真にどの程度の手術を必要とするかまた、甲1本人がそのような手術をする意思を持つか否かも予測がつき難いので、現時点で将来の整形手術の必要とこれに要する費用を確定的に把握することは困難であつて、これを控訴人甲2につき、現実に具体的な損害が生じたものと認めることはできない。
よつて、将来の治療見込額の請求は理由がなく、結局控訴人甲2の財産上の損害は前記金一九万三、四五〇円であるが前記被控訴人の過失相殺の主張が理由があり、右は財産上の損害について五割を減額するのを相当と認めるので、控訴人甲2の請求し得べき金額は金九万六、七二五円である。そうすると、控訴人はこれに対し既に金一〇万円の支払があつたことを自認しているので、本訴において請求できる残額は存しない。
(三) 控訴人甲2、甲3の慰藉料請求について。
不法行為により身体に傷害を受けた者の父母が民法七〇九条、七一〇条により慰藉料請求権を取得する場合のあることは既に最高裁判所昭和三三年八月五日第三小法廷判決(民集一二巻一二号一九〇一頁)、昭和三九年一月二四日第二小法廷判決(民集一八巻一号一二一頁)が肯定するところであるが、これらの判例の趣旨も被害者が生命を害されたときにも比肩すべき精神上の苦痛を受けた場合に限られるものと解すべきであつて、被害の程度がその様に重大でなく、しかも前認定のとおり、保護者たる甲3自身にもも決して軽いとはいえない過失が存した本件においては、両親としても、本人の慰藉されることをもつて満足すべきであつて、同人らが独立して自己の慰藉料請求権を取得し得る場合にはあたらないと解するほかはない。
五、以上の次第であるから、控訴人らの本訴請求は控訴人甲1の請求を金五〇万円とこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四三年七月一九日以降支払済に至るまで年五分の割合の金員の支払を求める限度において認容すべく同控訴人のその余の請求およびその余の控訴人の請求はいずれも失当として排斥を免れない。よつて、原判決中控訴人甲1に関する部分は変更すべきであるが、その余の控訴人らの控訴は理由がないので、民訴法三八四条、三八五条、九六条、八九条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(沢井種雄 常安政夫 潮久郎)